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2018/06/15

福島の旅 4日目 国指定重要文化財「天鏡閣」

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福島の旅も、これで終わり。

明治の香り今に息づく。「天鏡閣」

ここは明治40年8月、有栖川宮親王殿下が東北地方ご旅行中、猪苗代湖畔を巡遊され、その風光の美しさを賞せられて、こ後に御別邸を建設することを決定されました。

明治41年春起工し、同年8月竣工。翌年9月、皇太子嘉仁親王殿下(大正天皇)の行啓があり、「天鏡閣」と命名されました。

気品あるルネッサンス風洋風建築。

トイレもお風呂も洋風です。和風の桶にお湯を入れての、よく、時代劇で将軍様が湯を使っている浴室もありました。(^_^)

どういう風になっていたのですかね。

ここの建物で1番目に付いたのが、各部屋の明かり、シャンデリア。それぞれの部屋で、いろいろな明かりが点いています。特に三枚目の画像のシャンデリアが一番豪華で、ランプシェードも細部が凝ったデザインになっています。
ライトが点灯していたので、写真ではちょっと分からないですね。

シャンデリアが下がる天井には、凝った飾りが施されています。

福島の三泊四日の旅。コンパクトに回ることが出来て、見所満載の旅でした。いままで、知らなかったところばかりで、自然の美しさに感激したり、歴史の重みに感動したり。

今でも、福島蔑視で、湯川れい子がトンでもツィートを流したり。
湯川れい子氏の「拡散希望(中略) 今日も福島では作業員が死んでいます。」というツイートに対する反応https://togetter.com/li/1235468
「福島に行くと娘が鼻血を出す」というとんでもないデマを流す極左パヨクがいます。

福島県産の食物は、すべて残留放射能検査がされています。海外からの輸入農産物より、よほど安心できます。

中学高校の修学旅行は、是非、福島を訪れてみて欲しい。

江戸時代、日本人がどのように勉学と鍛錬に励んだか幕末から明治の時代の移るとき、若い人達がなぜ命を落としたのか、それは、自分たちに自信を持ち、信じたからに他ありません。

いま、日本が乗っ取られようとしている瀬戸際に立たされています。ネットを見てるとそれがじわじわ伝わってくるのです。

先人達が一生懸命守ってきた美しい日本を子供や孫達に残せるように、私たちはしっかり考えないといけません。

2018/06/14

福島の旅 4日目 会津藩校 日新館

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最高の青空が続いていましたが、最終日は雨模様。
でも、スケジュールを立てて下さった〇〇様の判断のおかげで、建物の中の見学で、少々の雨もまた風情がありました。

それに、ここは、見学者用に傘を貸しだして下さいます。有り難いことです。


この会津藩校日新館は白虎隊の学び舎です。このような学校が江戸時代、全国三百ほどあったそうです。
いまの私立中学高校みたいなものでしょうか。

庶民は、寺子屋で、読み書きそろばんを習い、武士の子弟はこういう学び舎があったのです。

明治維新で鎖国政策から、開国へ。そのとき、日本を訪れた外国人は、日本人のほとんどが文字の読み書きが出来ることに驚嘆したそうです。

そして、それが、他のアジア諸国のように、欧米の植民地にされなかった理由のひとつ。

この日新館は、戊辰戦争で焼失してしまいましたが、昭和62年に会津の精神文化を後世に伝えようと完全復元されました。

日新館に入学するのは10歳からですが、それ以前6歳頃から「会津藩の幼年者教育・什の掟」として、7つの事をおしえこまれました。

什の掟―じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです)http://www.nisshinkan.jp/about/juu

この教え、素晴らしい。

福島に旅行して、白虎隊の悲劇と会津藩の教育水準の高さを知り、今回の旅行は、本当に実りのあるものだったと思います。

2018/06/13

福島の旅 3日目 お宿は純日本旅館「芦ノ牧温泉大川荘」

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福島の旅、3日目のお宿は、久しぶりの純日本旅館。

仲居さんにお部屋に案内され、ご挨拶を受けて、「お茶をお入れしましょうか」とこちらの意向を尋ねられました。以前だと、普通にお茶を入れてからご挨拶でしたよね。

やっぱり、お茶を入れて貰うより、早く足を伸ばしてのんびりしたいというお客様も多いのでしょう。私も、丁重にお断りして、大急ぎで温泉へ。。。(^0^;)

やっぱり、温泉ですよね。ここ大川荘は二種類の露天風呂があって、温泉好きには堪らない。

http://www.ookawaso.co.jp/

四枚目の赤い緋毛氈は、ここで三味線を弾いて下さいます。
二時間ぐらいぶっ通し。足がしびれないのかしら。(@@;)

2018/06/08

福島の旅 3日目 大内宿

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宿場 大内宿http://ouchi-juku.com/index.php?History

大内宿は、会津城下と下野の国(しもつけのくに)(栃木県日光市今市)を結ぶ全長130キロメートル(32里の区間)の中で会津城下から3番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町

結構大きなかやぶき屋根のおうちばかりです。ここに皆さん住んで町並みを保存して下さっています。白川郷でもそうですが、雪深い冬場など、生活も大変だろうなと思います。

街道が昔のままだとすれば、結構広い街道ですね。馬籠を訪れた事のある方は、分かると思いますが、旧街道って,もっと狭いですよね。

2018/06/05

福島の旅 3日目  会津 鶴ヶ城

会津 鶴ヶ城

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茶室 麟閣

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若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町にあった日本の城である。

地元では鶴ヶ城(つるがじょう)と言うが、同名の城が他にあるため、地元以外では会津若松城と呼ばれることが多い。文献では旧称である黒川城(くろかわじょう)、または単に会津城とされることもある。国の史跡としては、若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で指定されている。



鶴ヶ城(つるがじょう)は、日本の城の名称または別名。

千葉県いすみ市岬町にあった城 - 鶴ヶ城(上総国)
静岡県浜松市にあった城 - 鶴ヶ城(遠江国)
和歌山県田辺市にあった城 - 鶴ヶ城 (紀伊国)
岐阜県瑞浪市にあった城 - 鶴ヶ城 (美濃国)
若松城(福島県会津若松市)の別名。
佐伯城(大分県佐伯市)の別名。 
松森城(宮城県仙台市泉区)の別名。


鶴ヶ城というと、福島の鶴ヶ城と思ってましたが、他にもいくつもありました。
確かに、姫路城を白鷺城と言いますが、お城は白い壁に瓦を載せて威風堂々たたずむ姿は、大きく羽を広げる鳥のように思えますね。


この日もお天気に恵まれて、青空に白い壁赤い屋根の会津鶴ヶ城は美しかった。

2018/06/02

福島の旅 三日目 日本の近代化の過程での悲劇の舞台 「会津 飯盛山」

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Img_9686_2白虎隊の霊が眠る飯盛山

しっかり、下調べもしないまま、出かけて、白虎隊十九士の墓を見ないままです。( ̄。 ̄;)

いろいろ、石碑が建っています。

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この珍しい碑は、藩士の武士道精神にローマから捧げられた碑だそうです。

その太い柱の上では鷹が今にも飛び立とうとしている。

昭和3年、白虎隊の武士道の精神に共感を覚えたローマ市から寄贈された。表面に「文明の母たるローマは、白虎隊勇士の遺烈に、不朽の敬意を捧げんがため古代ローマの権威を表すファシスタ党章の鉞(まさかり)を飾り、永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る」、裏面に「武士道の精神に捧ぐ」と刻まれていた文字は、第二次世界大戦後に連合国軍によって削り取られた。会津と世界のつながりの歴史―。


この飯盛山にリヒャルト・ハイゼと言うドイツ人の墓がありました。今頃、気がついたのです。( ̄。 ̄;)

1902年来日、東京高等商業学校(現・一橋大学)ドイツ語講師のほか、学習院や慶応義塾などで教鞭をとった。

皇族や明治の元勲をはじめ多くの知識人と親交を持つ。日本人と結婚し、’24年帰国。満州事変が勃発し対日批判が起こると論陣を張って日本を弁護した。’40年北京で亡くなったが、遺言により遺骨は福島県会津若松市の飯盛山に埋葬された。著書に「日本人の忠誠心と信仰」がある。


GHQの占領政策に大きな影響を与えた白虎隊讃美のハイゼの遺著https://blog.goo.ne.jp/ikeiketarou/e/825301a5b5f5e71ce0964ff1a0cc66e2

こちらの方のブログに,もう少し詳しく語られています。

いま、日本が在日外国人と日本人でありながら反日に染まった勢力によって、日本が歪められてきていますが、こうして、江戸末期から明治のはじめ、日本の近代化の夜明けに多くの悲しい犠牲があった事を忘れてはならない。

そして、欧米人が日本の精神性を高く評価してくれていたことも、もっと、広く知られるべきだと思います。

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【 飯盛山 戸ノ口堰洞穴】白虎隊士が通った洞穴

これは、猪苗代湖の水を会津地方に引くため掘られた洞穴で、戸ノ口堰洞穴(とのぐちせきどうけつ)という。

猪苗代湖畔・戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊士ら二十名は、鶴ヶ城を目指して、この長さ約一五〇メートルの洞穴を潜り、飯盛山の中腹へと敗走した。

主君の御城、鶴ヶ城の安否を確かめんとする一心で、冷たい水が容赦なく流れる洞穴の中を、身を屈め、足を取られながらも、進んでいった。

そうして、飯盛山の中腹に辿り着いた末、彼らは城下の黒煙を目にすることとなる。会津若松の城下町が炎上しているのを見て、鶴ヶ城落城と勘違いし自刃したという悲話が有名。

その無情―、少年たちの無念、思うに余りある。

見ると、結構な水の流れで、しかも狭い。16歳から17歳の少年だからこそ、潜れたのでしょうけど、気力で進んだのでしょうね。実話であるだけに、悲しくてなりません。

この若い命の犠牲を無にしてはならない。私たちはもっと日本と言う国を大切にしていかなくてはいけないと思います。

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http://www.hrr.mlit.go.jp/agagawa/agagawa/tokusyu/01/003/kouen2.html

戸ノ口堰用水の歴史と現状

この戸ノ口堰用水も、猪苗代湖の水を会津の地に引いて、開墾をしようと考えたというのです。今のように大型の土木機械があるわけでない時代、すごいことですよね。


2018/06/01

福島の旅 3日目 会津さざえ堂

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会津さざえ堂 別名 会津さざえ堂、会津栄螺堂 所在地 福島県会津若松市一箕町八幡弁天下1404 建立 1796年(寛政8年) 用途 仏堂 高さ 16.5m 構造 木造 指定 重要文化財(1995年6月27日指定)

二重らせん構造の斜路をもつ特異な建物として知られる。福島県会津若松市の白虎隊の墓所のある飯盛山の中腹に建つ。通称は「会津さざえ堂」もしくは単に「さざえ堂」で、正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)という(重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」)。

平面六角形の特異な建物である。概ね三層構造といえるが、内部には二重らせん構造の斜路が続き、右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が別々に存在する。入口から斜路を最上階まで上り、他者とすれ違うことなく、別の斜路を降りて出口から出ることができる。

かつてこの地にあった正宗寺の仏堂として、江戸時代後期の寛政8年(1796年)に当時の住職であった郁堂(いくどう)が建立したものである。

当時は阿弥陀如来を本尊とし、斜路には三十三観音像が安置されていたという。

神仏混交の信仰形態をもっていた正宗寺は、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、以後、栄螺堂は個人の所有となっている。また、堂内にあった三十三観音像は他所へ移され、代わりに「皇朝二十四孝」の額が取りつけられている。

平面は一辺3.4メートルの六角形で、堂内中央部に6本の通し柱を立てる。側柱(建物外周に立つ柱)も6本の通し柱で、中央柱との間には繋梁を渡す。屋根は銅板葺きとし、正面入口には唐破風造の向拝を設ける。最上部の天井は折上げ鏡天井とする。

同名の堂は他所にもあるが、旧正宗寺三匝堂のような特異な内部構造をもった堂は他に知られず、稀有な例として平成7年(1995年)6月27日付けで国の重要文化財に指定された。

なお、二重らせん構造を有する近代以前の建築物としては、世界では他にフランスの世界遺産であるシャンボール城(ロワール地方)内部の、レオナルド・ダ・ヴィンチの設計とも伝えられる二重螺旋階段が知られている。これが蘭書に掲載され、めぐりめぐって会津地方まで伝わったのではないかという説もあるが、物証は無く定かではない。

福島の旅、三日目。

車で案内して貰って、「さざえ堂」という名前、自体初めて聞いた名前でした。Wikipediaにあるように、東北から関東地方に見られた仏堂と言うことで、東海や近畿では見たことない建築様式です。

このさざえ堂は、この会津だけで無く、関東の他の県にも見られるようですが、ここの特徴、行きと帰りのお参りですれ違うことが無いという不思議な建築。昔の日本の職人さん、たいしたものです。

栄螺堂(さざえどう、さざいどう)は、江戸時代後期の東北~関東地方に見られた特異な建築様式の仏堂である。

堂内は螺旋構造の回廊となっており、順路に沿って三十三観音や百観音などが配置され堂内を進むだけで巡礼が叶うような構造となっている。

仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づいて、右回りに三回匝る(めぐる)ことで参拝できるようになっていることから、本来は三匝堂(さんそうどう)というが、螺旋構造や外観がサザエに似ていることから通称で「栄螺堂」、「サザエ堂」などと呼ばれる。

Photo小高い山の上にあり、すごい階段が目の前にあって、ちょっと、躊躇しましたが、大丈夫、エスカレータ坂道?階段になっていないので、動く歩道が坂になっていると想像して下さい。(笑)どちらにしても、階段は上らなくて良いです。

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会津若松市内が一望できます。結構、急な階段ですね。修学旅行か、社会見学か、飯盛山で自刃した白虎たいの子供達と同じ年頃の学生さんの姿がありました。


2018/05/30

ダム湖であってダム湖じゃない「秋元湖」

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秋元湖は磐梯山の噴火によって形成された堰止湖であり、天然湖である。だが、現在はダムが設けられており人造湖としての側面も見せている。

1888年(明治21年)、南方にある磐梯山が突如噴火し、大規模な水蒸気爆発に伴って中央部の山腹が崩壊(山体崩壊)を起こし桧原村方面に大量の土砂が流下、さらに泥流も発生して集落は全滅する被害を受けた。

この際に長瀬川や小野川など裏磐梯地域を流れる河川が山体崩壊や泥流によって方々で堰き止められ、桧原湖や小野川湖、五色沼といった大小様々な堰止湖が形成されるに至った。秋元湖は大倉川や中津川が堰き止められて誕生した。裏磐梯三湖の中では水深が最も深く、面積は桧原湖に次いで大きい。

火山の噴火によって出来た、湖沼群だったのですね。

大きな災害の後出来たこの風光明媚。なんとも、複雑なものがあります。

2018/05/29

福島の旅 3日目 磐梯山と猪苗代湖

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福島の旅、三日目。 

次の目的地までの途中の峠で、猪苗代湖と磐梯山が綺麗に見える場所があって車を停めて頂きました。

1枚目が、磐梯山。2枚目は,猪苗代湖。お天気が良すぎて、霞んでしまっているのが残念。

2018/05/28

福島旅行2日目の宿 「休暇村裏磐梯」

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福島の旅、2日目の宿は、休暇村裏磐梯。
https://www.qkamura.or.jp/bandai/

入り口を入ると、ロビーの向こうの大きな窓に磐梯山が綺麗に見えます!!
お部屋に入ると、真新しいい草の臭いが。。。畳が替えられたばかりのようでした。いつもは洋室にするのですが、和室もいいものです。(^_^)/

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地図で、休暇村裏磐梯の位置をご覧下さい。周辺には、大小の湖沼が点在しています。

1888年7月15日、磐梯山頂北側、小磐梯を含む部分が水蒸気爆発によって山体崩壊を起こし、岩屑なだれが川をせき止め、数百の湖沼が形成された。大きいものに秋元湖、小野川湖、桧原湖があり、それらに挟まれるように位置する数十の湖沼群や地域が五色沼と呼ばれる。流入している火山性の水質の影響や、植物・藻などにより、湖沼群は緑、赤、青などの様々な色彩を見せることが名称の由来である。

山体崩壊の土砂・岩によって荒れた地域を再生させようと、遠藤現夢が私財を叩いて植林を始めたのがきっかけで五色沼の観光地化が始まった。現在では五色沼には散策路が整備され、宿泊施設が集まるなど、観光地として発展している

五色沼を散策した後は、桧原湖を一周してもらったので、五色沼から遠いのかと思ったら、すぐ近くでした。(^0^;)

このあたり、おしゃれなリゾートホテルがいくつも建っています。湖のすぐ近くのホテルもあるので、早朝散歩にいいかもですね。

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休暇村裏磐梯からは、大きな湖には少し遠いですが、ちいさな沼はいくつもあります。玄関をでると、ほら!!まだ、雪が残ってます。

木道を歩いて行くとビジターセンターの前に出て、少し行くとレンゲ沼。緑が濃い綺麗な沼でした。残念ながら、コンデジでは、今一、綺麗な緑が出ないのですよね。

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大きな天体望遠鏡が備えられた天文台。ラッキーなことに天体観測のある日でした。しかも、良いお天気。(^_^)/
木星を見せて貰っただけなのですけどね。(^0^;)

でも、星にラインが二本くっきり見えて、衛星も3コ見えました。

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これほど綺麗ではないですが、見えたのはこの太い二つの線ですね。
目が慣れてくると天の川も見えるそうですけど、もう一度,お風呂に入って、寝てしまった。