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2017/12/04

湖東三山のうち 「金剛輪寺」 3 二天門への階段を上ると本堂へ

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勾配は緩いものの、長い参道を歩いて行くと最後には、この急な階段が。。。(^0^;)

訪れる方は、三山の中では、一番苦しいと言われるそうです。確かにそう。百済寺も登りますが、距離は、ここほどではなかったような。

しかし、紅葉は、この金剛輪寺が一番です。

この参道だけでなく、お地蔵様が並んでいらっしゃる一角もあります。千体地蔵と言われますが、実際は、2000体以上あるそうです。

このいわれを調べてみましたが、よく分かりません。お寺のパンフレットにもHPにも詳しいことは載っていません。紅葉の時期で、大勢の参拝客が一緒なのでいいのですが、閑散期だと、ちょっと、怖いかも。( ̄。 ̄;)

2017/12/02

湖東三山のうち 「金剛輪寺」 2 名勝庭園、明寿院、白門

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登りになる参道の手前に、名勝庭園の入り口があります。そこをくぐると国の名勝に指定された美しい庭園がひろがっていて、紅葉が鮮やかでした。

明寿院という尼寺があって、ちょうど、額縁の向こうに美しい真っ赤な紅葉が覗けるようになっています。

2017/12/01

湖東三山のうち 「金剛輪寺」 1 総門から参道を歩く

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東近江の紅葉狩り、今度は、湖東三山の一つ、金剛輪寺です。

湖東三山は、滋賀県湖東地方の西明寺、金剛輪寺、百済寺の三つの天台宗寺院の総称。琵琶湖の東側、鈴鹿山脈の西山腹に位置し、百済寺の南東に位置する永源寺と共に紅葉の名所として知られている。 室町時代には、敏満寺、大覚寺と合わせて湖東五山として栄えたが、応仁の乱や織田信長の焼き討ちによって衰退

西明寺は何年か前の桜の時期に、百済寺は昨年の秋一人で訪れましたが、金剛輪寺は初めて。
ここが一番境内が広いです。しかも、登りがきつい!!

総門をくぐり、長い参道を歩きます。ここらあたりは、坂もなく、紅葉と緑が調和したお庭を見ながらのんびりと。。。
参道に並んだ千体地蔵が見えてくると、少しずつ上り坂。

太郎坊は、階段が急でしたが、ここは、だらだらと登り坂が続きます。そして、最後に急な階段が。。。(^0^;)

続きは明日。

2017/11/30

東近江の絶景が見渡せる 「太郎坊宮」

先日の11月28日、久しぶりに、日帰りでのドライブで、紅葉巡りに出かけました。

まずは、東近江にある「勝利と幸福を授ける神様 太郎坊宮を目指します。

我が家からは、国道421号線を走って、1時間20分ぐらい。
高速道路を使わないで行けるので、交通費も安上がり。(^o^)

紅葉狩りで、混雑するといけないと、早朝、6時前に出かけました。朝靄が出ていて、愛知川には川霧が発生していて、とても綺麗だったのだけど、カメラには収められず。

さて、神社の駐車場には、7時20分くらいにつきました。
神社の係の方がいらっしゃらないので、勝利のお守りも何もいただけず。(/_・)/

1.祈祷殿駐車場前 ここからは階段を上らなくてはいけません。
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2.山麓の階段を見下ろしたところ
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3.これから、階段を上らなくては。。。( ̄。 ̄;)
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4.立派な参集殿があります。
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5.まだまだ、階段は続きます。紅葉が綺麗です。
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6.階段を登り切ったところ
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7.見晴らしが素晴らしい。早朝で、東近江の里が朝靄に覆われています。
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8.夫婦岩この切り立った岩の間を入っていきます
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9.夫婦岩のところから見た近江の里
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10.駐車場にある祈祷受付所 朝7時半頃なので、まだ、どなたもいらっしゃいません。
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11.太郎坊山 この急峻な途中に参集殿が建てられてます。結構、難工事だったろうなぁと思います。
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12.一番麓の登り口。742段の階段です。途中の駐車場からだと259段。これでも、かなりきつかった。
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https://www.travel.co.jp/guide/article/17133/
絶景の空中参道も!滋賀・太郎坊宮は天空のパワースポット

こちらのサイトに、詳しく参道と境内の様子が載ってます。

2017/11/28

道の駅 「永源寺渓流の里」

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もみじ🍁狩りに行ってきました。

2017/03/14

「豊公園」  長浜

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ランチの後は、近くの「豊公園」へ。

朝は、晴れていたのに、お昼にはすっかり雲が広がって、琵琶湖対岸の「比良の暮雪」が見えずに残念でした。
梅は、見ごろを迎えていて、カメラを構えている人もちらほら。桜の季節になると、もっと、賑わうのですけどね。

梅とお城を撮ろうとしましたが、まだ、つぼみの膨らんでい無い桜の枝が邪魔をして、上手く入らない。

あたりは、梅のいい香りでいっぱいでした。

2017/03/10

「勝鳥神社」 静かな集落の中で

昨日の記事の続き。

ドライブの一番の目的地は、この勝鳥神社。Katutori


拙ブログに、コメントを寄せていただく方の情報で、今年の干支、鳥にちなむ名前の神社が滋賀県にあると知り、行ってきました。

滋賀県は、雪が多いところで、今年も彦根や長浜は大雪でしたので、なかなか、出かけられなかったのですが、今週の初めの予報では、木曜日ごろから暖かくなるという話だったので、うきうきして出かけたのはいいのですが。。。見事裏切られた。( 一一)

今日も寒いですね。秋は、段々寒さに向かう季節で、途中、小春日和が続くとホッとしますが、春は逆で、暖かくなるのを待ち焦がれているのに、こうして、寒の戻りがあると、余計に、寒さを感じてしまいます。


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綺麗な日の丸がたなびいています。きっと、ここだろうとこれを目当てに歩きました。事前に、googleのストリートビューで探したのですが、よくわからなかった。小さい神社なので、鳥居も目立たない。


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ありました!!国旗は、国旗を作っていらっしゃるおうちが掲げていらっしゃったので、違ってました。(^^;)


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正面からみたところ。鳥居も小さいです。

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お社。本当にこじんまりしています。


滋賀県神社庁の勝鳥神社の紹介ページhttp://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=904

私たちが訪れた時は、他に参拝客は見えませんでしたが、お正月はすごい人のようでした。12年に一度、大賑わいなのかな。

でも、祀られている神様が、「福の神」と「商売繁昌の神様」なので、新年の松の内はお参りは多いでしょうね。

勝鳥神社の由来

所在地 彦根市三津町小字勝鳥

祭 神  天稚彦命(あめわかひこのみこと)
      
      相殿(あいどの) 事代主命(ことしろぬしのみこと)・大山昨命(おおやまぐいのみこと)

由緒

勝鳥神社は天稚彦命を主神とし、事代主命・大山昨命をおまつりしています。 

 天稚彦命が出雲国から東方へ征伐に出陣されたとき、事代主命らとともに、三津に立ち寄られました。美濃国での戦で亡くなられた天稚彦命のなきがらを、下照姫命の兄が三津に葬り、勝鳥石を立てたと語り伝えられています。

 その後、天稚彦命を崇敬する近郷の領主や人々が多数祈願し、明治11年に神籠神社を勝鳥神社と改めて今日に至っています。

 主祭神天稚彦命は古より武勇の神として尊崇されている神であり、また、事代主命は大国主命の御子で、一般的に恵比須さんと呼び親しまれている福の神、商売繁昌の神であります。

 今年はトリ年であり、また「勝」と言う元気、勝負に勝つという縁起がかっがれ、前向きな気が頂ける神様として、一気に注目され、観光バスでの参拝が絶えず、今、人気のスポットになっています。

社務所は閉まっていましたが、ちょうど、氏子の方がいらっしゃって、「よくお参りくださいました。」とおっしゃってこのパンフレットを下さいましたので、書き写しました。

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彦根市の郊外、田園が広がるのどかなところにあります。Img_8023


駐車場がないので、近くのショッピングセンターで買い物をして、車を置かせていただき、あぜ道を歩いてきました。(^^;)

買ったのはこれ。座布団カバーです。安いのにちょっとおしゃれで気に入りました。

2016/12/02

湖東三山「百済寺」 紅葉アラカルト(一眼レフ)

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昨日までの「百済寺」の画像は、コンデジで撮ったもの。今日のは、一眼レフの300ミリ望遠で写したものです。

2016/12/01

湖東三山「百済寺」 仁王門までの参道と鐘楼

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仁王門までの参道です。

長い参道の本堂近くに立つ仁王門は、本堂と同じ年代に建立されました。 三間二間で一対の金剛力士像が向きあっております。 その正面につり下げられた一対の大草鞋に触れると、身体健康・無病長寿のご利益があると昔から言い伝えられております。 最近では、「百寺巡礼」で有名な五木寛之氏が第35番目の百済寺参拝時に、この大草鞋に触れて、百済寺満願を達成されてから大変な脚光を浴び始めております。

このわらじは、門の両脇に立ってお寺を守る、仁王さんのわらじ。
勇猛、剛健、健脚の仁王さんですが、夜は仁王門の脇にわらじを置いて、立ちながら休まれるそうです。

元々は仁王像の大きさに応じて50cmほどだったそうです。

江戸時代中期頃から、仁王門を通る参拝客が、健脚・長寿の「願」を掛けるようになり、「わらじが大きいほどご利益も大きい」ということでどんどん大きくなって、今では3mほどになっているのだそうです。

わらじには、今でもお賽銭が挿っています。
寺社巡りドットコムhttp://www.jisyameguri.com/
三のサイト、自然豊かな湖東の古刹、百済寺からの引用です。


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朝遅くに出かけてきたので、あまりゆっくりできなくて、仁王門の仁王様も見ないまま帰ってきました。(^^;)

この後、本堂にお参りしたら、汗がびっしょり。結構歩くのです。でも、本堂の係りの方は、「ここは、室温三度なんですよ。」とおっしゃってました。今頃は、もっと冷えているかも。

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鐘楼があり、自由に突いていいと言うことなので、私も、一回、ご~~~ん。

その音色の美しさから、「昭和の名鐘」とも言われています。
とても澄んだ音色でありました。

自由に突いていいなんて、嬉しいですね。


2016/11/30

湖東三山「百済寺」 山城でもあった

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琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。

寺伝によれば、推古天皇14年(606年)、聖徳太子の建立という。

聖徳太子は当時来朝していた高麗(高句麗)の僧・恵慈とともにこの地に至った時、山中に不思議な光を見た。その光の元を訪ねて行くと、それは霊木の杉であった。太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで十一面観音の像を作り、像を囲むように堂を建てた。

これが百済寺の始まりであるといい、百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号したという。百済寺の史料上の初見は11世紀の寛治3年(1089年)であり、聖徳太子創建との伝承がどこまで史実を反映したものかは不明であるが、百済寺という寺号から見て、この寺は渡来系氏族の氏寺として開創された可能性が高い。

平安時代には、近江国の多くの寺院と同様、比叡山延暦寺の勢力下に入り、天台宗の寺院となっている。

平安時代から中世にかけて、かなりの規模をもった寺院だったようだが、明応7年(1498年)の火災で全焼し、その数年後の文亀3年(1503年)の兵火でも焼け、この2回の火災で創建以来の建物ばかりでなく、仏像、寺宝、記録類なども大方焼けてしまった。

さらに天正元年(1573年)には織田信長の焼き討ちに遭い、またも全焼している。当時、この地に勢力をもっていた佐々木氏の一族六角氏は、観音寺城の支城である鯰江城(なまずえじょう)を百済寺の近くに築いていた。信長は自分と敵対していた佐々木氏に味方するものとして、百済寺を焼き討ちした。本堂をはじめ現在の建物は近世以降の再興である。

wikipediaより

                                                  


「近江最古級の古刹、1400年の法灯」百済寺のパンフレットに書いてあります。聖徳太子の建立ということで、相当な歴史のある名刹と言えます。

残念ながら、創建当時の建物や仏像など、多くが焼失してしまっていますが、この画像のあたりには、その当時の跡が残っています。

また、石造の弥勒菩薩半跏像が残っていました。これは、外に立っているので、傷みも来ていますが、広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩半跏像と同じようなものでした。写真は、仏様を撮るのは失礼かと思って、撮ってません。


5枚目の画像に最後の山城とあります。ところどころに石垣が残っています。滋賀県は、東西の中間点であり、京の都に上る重要な要の地に位置していたので、お寺であるけれど、お城としての役割を持たすにもいい場所であったわけですね。