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2017/01/04

古都奈良の旅 「談山神社」の縁起

談山神社の御祭神は藤原鎌足公です。

御祭神 藤原鎌足公 舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。 この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。

たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、
聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、
西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。
後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。

ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。
天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、
大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。
藤原の姓はここに始まります。

鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。
大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。


すごい!!

神話に近い時代のお話に触れて、背中がぞくぞくして緊張しました。(笑)

「大化の改新」談合がここの山で行われたのです。


Photo

平成17年の新聞記事が見つかりました。今から10年以上前、明日香村で、蘇我入鹿の邸宅の一部ではないかと言われる建物跡が見つかっています。

この談山神社の「多武峰縁起絵巻」には、その栄華をふるった蘇我入鹿を打つために中大兄皇子と藤原鎌足の談合の場、そして、蘇我入鹿を打ち取る場面が描かれています。

Imgp6965


Imgp6966


Imgp6967

拝殿の中は見学でき、写真も撮ることができます。
あまり綺麗に撮れなかったので、ネットに公開されている画像をご覧ください。

多武峰縁起絵巻の画像

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%A4%9A%E6%AD%A6%E5%B3%B0%E7%B8%81%E8%B5%B7%E7%B5%B5%E5%B7%BB&espv=2&biw=1920&bih=950&tbm=isch&imgil=nsanULTDKrWm4M%253A%253B68t2INhZSkIO8M%253Bhttp%25253A%25252F%25252Fwww.tanzan.or.jp%25252Fbunkazai.html&source=iu&pf=m&fir=nsanULTDKrWm4M%253A%252C68t2INhZSkIO8M%252C_&usg=__785Teq-_Gq13rjL96b3foi-UrgM%3D&ved=0ahUKEwjMlay96KXRAhVGoZQKHVF8CZgQyjcILA&ei=hoNrWMy6HsbC0gTR-KXACQ#tbm=isch&q=%E5%A4%9A%E6%AD%A6%E5%B3%B0%E7%B8%81%E8%B5%B7%E7%B5%B5%E5%B7%BB

神社に展示してある多武峰縁起絵巻は、江戸初期に住吉派の祖、住吉如慶、具慶の親子に寄る写本です。室町時代初期の制作による根本縁起は、奈良国立博物館に寄託されています。


多武峰縁起絵巻以外にも安土桃山時代/狩野重信筆の三十六歌仙扁額も見ることができます。
http://www.tanzan.or.jp/bunkazai.html

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