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2017/01/06

古都奈良の旅 飛鳥路 石舞台

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談山神社から、県道155号線をまっすぐ西に走ると、古墳時代後期から飛鳥時代の史跡が満載の明日香村に入ります。

まずは、石舞台古墳。

石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳。国の特別史跡に指定されている。 元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。埋葬者としては蘇我馬子が有力視されている。

写真を見てもらうとわかるように、まさに石舞台です。「古墳って、土で覆われているものじゃないのかな。」と思ってましたが、土が失われて、石室が露出したのですね。それで、かえって、この全景がこうしてみることができます。

ずーと以前に、この石舞台を訪れた知人が、「石舞台って、大きな石がごろんと転がっているだけよ。」なんて言っていました。それもあって、なかなかここ訪れる機会がなく。。。(^^;)

今思うと、なんと、無知な。。。(*´Д`)

日本の古代の歴史に興味ある方なら、一度は訪れる価値のあるところです。京都とは違った、素朴な奈良の魅力がいっぱい詰まっている場所です。

ここの被葬者は、蘇我馬子が有力視されています。

被葬者は蘇我馬子であったとする説が有力である。『日本書紀』の推古天皇34年(626年)5五月の条に「大臣薨せぬ。仍りて桃原墓に葬る」とあり、大臣は、蘇我馬子を指している。封土が剥がされ、墓が暴かれたのは、蘇我氏に対する懲罰ではなかったかとする説もある。

ただし、異説があり、奈良大学の水野正好は、石の種類、築造年代などから蘇我稲目説を唱えている。
また、三重中京大学名誉教授の上野利三は石室の壁に「馬子墓」の文字が刻まれており、肉眼でも確認可能との説を主張している。

この飛鳥の里で、額田王が恋をして、あの有名な句。

「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き  野守は見ずや 君が袖振る」
を読んだのでしょうか。

もっとも、これは近江の里蒲生野での狩猟の時とか、書いてあるので、この明日香村ではないのかもしれないですけど。それでも、私の心は、古代人の姿をこの広い野山に追ってます。(笑)

http://www.k4.dion.ne.jp/~skipio/21essay2/Jitou&Nukata-ookimi.htm

額田王と鵜野讚良
古代に咲いた二人の女性

個人の方のHPに興味深いお話が載ってました。


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Img_7889石棺の復元です。日本の古代にこんな綺麗な石棺が作られていたのです。

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