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2016/12/09

斑鳩の里 中宮寺

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中宮寺です。http://www.chuguji.jp/


中宮寺は、法隆寺の塔頭の様な位置に建っていますが、創建当初は500メートルほど東にありました。旧地に土壇が残っています。

現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定される。旧寺地の発掘調査の結果から、法隆寺と同じ頃、7世紀前半の創建と推定されるが、創建の詳しい事情は不明である。天平19年(747年)の『法隆寺縁起』[1]や『上宮聖徳法王帝説』には、「聖徳太子建立七寺」の一とされるが、確証はない。中宮寺独自の創立縁起は伝わらず、『日本書紀』にも中宮寺創建に関する記載はない。

平安時代の『聖徳太子伝暦』は、中宮寺は聖徳太子が母・穴穂部間人皇女(間人皇后)の宮殿を寺としたと伝え、後には間人皇后自身が発願者であるという伝承も生まれる。鎌倉時代の顕真が著した『聖徳太子伝私記』の裏書には、「葦垣宮、岡本宮、鵤宮(いかるがのみや)の3つの宮の中にあった宮なので中宮といい、それを寺にした時に中宮寺と号した」との説が記載されている。

中宮寺は平安時代以降衰微し、鎌倉時代には中興の祖とされる信如によって復興が図られた。信如は文永11年(1274年)、法隆寺の蔵から聖徳太子ゆかりの「天寿国繍帳」を再発見したことで知られる。
江戸時代初期の慶長7年(1602年)、慈覚院宮を初代門跡に迎え、以後門跡尼寺として今日に至っている。

Wikipediaより

                                                   

門跡(もんせき、もんぜき)は、皇族・公家が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のことである。 寺格の一つ。 元来は、日本の仏教の開祖の正式な後継者のことで「門葉門流」の意であった(この場合は門主とも)。 鎌倉時代以降は位階の高い寺院そのもの、つまり寺格を指すようになり、それらの寺院を門跡寺院と呼ぶようになった。

本堂の扉には、菊の御門がみえます。

このお寺の魅力の一つは、木造菩薩半跏像。京都にある広隆寺の弥勒菩薩半跏像とよく似ています。お優しいお顔を傾けて、思案していらっしゃる様子がとても魅力的です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AE%AE%E5%AF%BA
wikipediaの中宮寺のページの国宝の欄に、この木造菩薩半跏像の写真を見ることができます。

百済寺にもこの菩薩像の石像がありました。
http://narumi.cocolog-nifty.com/yasumi/2016/11/post-4.html

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