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2016/11/30

湖東三山「百済寺」 山城でもあった

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琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。

寺伝によれば、推古天皇14年(606年)、聖徳太子の建立という。

聖徳太子は当時来朝していた高麗(高句麗)の僧・恵慈とともにこの地に至った時、山中に不思議な光を見た。その光の元を訪ねて行くと、それは霊木の杉であった。太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで十一面観音の像を作り、像を囲むように堂を建てた。

これが百済寺の始まりであるといい、百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号したという。百済寺の史料上の初見は11世紀の寛治3年(1089年)であり、聖徳太子創建との伝承がどこまで史実を反映したものかは不明であるが、百済寺という寺号から見て、この寺は渡来系氏族の氏寺として開創された可能性が高い。

平安時代には、近江国の多くの寺院と同様、比叡山延暦寺の勢力下に入り、天台宗の寺院となっている。

平安時代から中世にかけて、かなりの規模をもった寺院だったようだが、明応7年(1498年)の火災で全焼し、その数年後の文亀3年(1503年)の兵火でも焼け、この2回の火災で創建以来の建物ばかりでなく、仏像、寺宝、記録類なども大方焼けてしまった。

さらに天正元年(1573年)には織田信長の焼き討ちに遭い、またも全焼している。当時、この地に勢力をもっていた佐々木氏の一族六角氏は、観音寺城の支城である鯰江城(なまずえじょう)を百済寺の近くに築いていた。信長は自分と敵対していた佐々木氏に味方するものとして、百済寺を焼き討ちした。本堂をはじめ現在の建物は近世以降の再興である。

wikipediaより

                                                  


「近江最古級の古刹、1400年の法灯」百済寺のパンフレットに書いてあります。聖徳太子の建立ということで、相当な歴史のある名刹と言えます。

残念ながら、創建当時の建物や仏像など、多くが焼失してしまっていますが、この画像のあたりには、その当時の跡が残っています。

また、石造の弥勒菩薩半跏像が残っていました。これは、外に立っているので、傷みも来ていますが、広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩半跏像と同じようなものでした。写真は、仏様を撮るのは失礼かと思って、撮ってません。


5枚目の画像に最後の山城とあります。ところどころに石垣が残っています。滋賀県は、東西の中間点であり、京の都に上る重要な要の地に位置していたので、お寺であるけれど、お城としての役割を持たすにもいい場所であったわけですね。


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