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2016/02/29

和泉式部のこと

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
  いまひとたびの 逢ふこともがな


平安時代の女流歌人の中でも、才色兼備で知られる和泉式部の和歌です。
百人一首の中の一首ですので、よく知られていますね。

これは、死を前にして、「恋しい人にもう一度逢いたい。」という心を詠んだ歌ですが、その恋しい人は、もうずーと前に亡くなっているのです。

この和泉式部の「和泉式部日記」は、その亡くなった恋しい人とその弟との間での感情の葛藤が書かれたもの。
実は、読んだことない。(^^;)

ここで、この和泉式部の話題を記事にしたのは、「日本の美しい古典文学」について、ブログで紹介して下さっている小名木善行氏「ねずさんのひとりごと」を拝見して、感銘を受けたからです。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2932.html

こちらのブログは、コピペするわけにはいきませんので、興味のある方は、このアドレスをクリックして、読んでみてください。簡潔に書いてあるのでとても読みやすい。

平安時代の人間関係、男女関係も面白いのです。

また、和泉式部の娘の小式部内侍の和歌で、百人一首の中の一つ。

大江山 いく野の道の 遠ければ
            まだふみもみず 天の橋立

wikipediaにこの歌が生まれた逸話が載っていました。

これは、「大江山を越えて、近くの生野(京都府亀岡市内の古地名)へと向かう道のりですら行ったことがないので、まだ母のいる遠い天の橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙もまだ見ていません」という意味である。歌合に歌を詠進することになった小式部内侍に、四条中納言(藤原定頼)が「丹後のお母さん(和泉式部は当時、夫の任国である丹後に下っていた)の所に、代作を頼む使者は出しましたか。使者は帰って来ましたか」などと意地の悪い質問をしたのに対し、その場で詠んだ歌とされている。

当時、小式部内侍の歌は母が代作しているという噂があったため、四条中納言は小式部内侍をからかったのだが、小式部内侍は見事な歌で答えたのだった。これに対し四条中納言は、当時歌を詠まれれば返歌を行うのが礼儀であり習慣であったにもかかわらず、狼狽のあまり返歌も出来ずに立ち去ってしまい恥を掻いたという。

「行く野・生野」「文・踏み」の巧みな掛詞を使用したその当意即妙の受け答えが高く評価され、以後小式部内侍の歌人としての名声は高まったという。なお、「ふみ」と「橋」は「道」の縁語である。

Photo_3


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